飲食店様へ 全国の日本酒をお客様に

飲食店様もお気軽にお問い合わせ下さい。

キーワードから探す
Keyword

酒(日本酒 地酒)通販のCRAVITONで今すぐ買えるお酒を選ぶ

酒(日本酒 地酒)の種別から探す
Search Sake by Category
大吟醸酒
吟醸酒
純米大吟醸酒
純米吟醸酒
特別純米酒
純米酒
特別本醸造酒
本醸造酒
普通酒
リキュール
ビール
焼酎
発泡酒
どぶろく
スピリッツ
その他の醸造酒
ノンアルコール飲料
酒粕
酒蔵の食品
飲み比べ・ギフトセット
ワイン(果実酒・甘味果実酒)
酒蔵オリジナル商品
酒(日本酒 地酒)の蔵元から探す
Search Sake by Breweries
佐藤酒造
八丈島酒造
萩錦酒造
滝澤酒造
佐藤酒造
西岡本店
市野屋
森酒造場
中善酒造店
中央葡萄酒
大根島醸造所
盛田
老田酒造店
善哉酒造
東飯田酒造店
勲碧酒造
岡田屋本店
深野酒造
宮崎酒造店
蒲酒造場
蔵元一覧を見る
酒(日本酒 地酒)の銘柄から探す
Search Sake by Brand Name
阿櫻 大吟醸
純米大吟醸原酒 美郷錦仕込
阿櫻 精撰
阿櫻 本醸造
阿櫻 純米酒
阿櫻 純米吟醸超旨辛口
阿櫻 純米吟醸 吟の精
阿櫻 純米吟醸秋田酒こまち
阿櫻 純米大吟醸原酒
阿櫻 純米大吟醸
金冠黒松 純米にごり
銀盤 限定生貯蔵 純米大吟醸 播州50
銀盤 純米大吟醸中汲み原酒 播州50
銀盤 純米大吟醸 富の香しぼりたて生原酒
ねのひ生囲い無濾過
大吟醸 鸞(らん)
酒母搾り酒 末摘花(スエツムハナ)
銀盤 純米大吟醸 播州50ひやおろし
原田 純米吟醸あらばしり「ハル」
2015ビンテージ山廃等外山田錦
銘柄一覧を見る
酒(日本酒 地酒)蔵元の所在地から探す
Search Sake by Production Areas
北海道
東北
関東
北陸
中部
関西
中国
四国
九州
沖縄
酒(日本酒 地酒)度から探す
Search Sake by Taste
大辛口(+6.0~)
辛口(+3.5~5.9)
やや辛口(+1.5~3.4)
普通(-1.4~+1.4)
やや甘口(-1.5~3.4)
甘口(-3.5~5.9)
大甘口(-6.0~)
酒(日本酒 地酒)の価格帯から探す
Search Sake by Prices
~ \3,000
\3,001 ~ \6,000
\6,001 ~ \9,000
\9,001 ~ \12,000
\12,001 ~ \15,000
\15,001 ~

関原酒造

銘柄酒:群亀
創 業:亨保元年(1716年)
杜 氏:
住所:新潟県長岡市関原町 1-1029-1
ホームページ:http://www.sake-sekihara.com/

Brand:
Initiation:
Master Brewer:
Address:Niigata

佐渡、相川の金を運んだ北国街道と、参勤交代の通路、三国街道を結ぶ交通の要衝、長岡街道。長岡に端を発し妙法寺峠を越えて出雲崎に至るこの街道は、比較的雪が少なかったこともあり江戸時代には、多くの人馬が往来したという。関原酒造株式会社は、その街道筋に居を構え、酒造りを業とした。江戸中期、享保年間のことと言われている。創業時の屋号は「常陸屋」を名乗り、判木屋又兵衛刀による慶応3丁卯年出版の「越後醸酒家一覧」には、「下除、常陸屋勝次郎」の記述が見える。

元々は常陸国小山の庄屋が我の地に居を構え、年貢米を使用して酒造りをしたものと考えられている。常陸屋は、代々小山姓を名乗っていたが明治の頃、常陸屋の一人娘イシは、婿を取らず六間原の外川慎之助に嫁いだ為、常陸屋、小山家の酒造りは外川家に引き継がれることとなった。その頃の銘柄は「越之老松」を使用していた様である。現在の銘柄「群亀」も同様の時期から使用を開始し、「鶴は千年、亀は万年」のことわざがある様に、亀は長寿の象徴であることから「群亀」を飲んで健やかに長生きして戴きたいとの願いが込められた酒名である。

その後、順調に業容を拡大し、中国新聞社による大正7酒造年度全国醸造家相撲番付には、製造石数2,552石で、西の前頭に登場している。大正末期には北海道に進出し、釧路市住吉町に敷島酒造合名会社を設立した。敷島酒造合名会社は、昭和27年当時の支配人に売却し現在も「福司」の銘柄を発売し営業している。又、昭和15年には、中国大陸にも進出、蘇州城外湖田上路頭堂西街11号に関原醸造公司を設立し、清酒の製造販売を開始した。

昭和10年12月10日、外川酒造店から改組、関原酒造株式会社を資本金2,500千円にて設立し、個人営業から会社組織へと変化を遂げた。その後、時代は酒造業のみならず、日本国中を巻き込み、日華事変から第二次世界大戦へと向かう。第二次大戦中、企業整備の名のもと、酒造メーカーの休業が相次ぐなか、生産を続け創業時より一冬の休むことなく酒造りを続けている。又、戦中当時は軍需工場に指定され高梁から航空燃料用のアルコールを製造していたと伝え聞いている。国内の食料事情が逼迫している中、酒蔵では白米を使って清酒を製造する他、使用人も白米を食していたという。

昭和18年10月31日の新潟県酒造組合聯合会の決定による基本石数は1,505石であった。又、余談ではあるが、先の蘇州に設立した関原醸造公司は、敗戦とともに閉鎖し、地下に財宝を隠匿した後、命からがら引上げ船に乗船、逃げ出したという。創業以来、良酒醸出をモットーに酒造りに励んできた証が数々の受賞歴に表れている。昭和30年代制作のポスターには「時代は変わった、ただ・・・杜氏の魂は変わっていない。何代も何代も酒造りに魂を注いできた、これこそ群亀です。」と記されている。

(関原酒造HPより引用)

コメント Comment

top